気にしすぎかな、と気にしすぎる
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2020年12月21日
父は会社をリタイアしてから、趣味にしていた詩吟を人に教えています。
趣味の延長なので自宅で週に1回、ほんの数名で開催しています。
コロナ第一波の緊急事態宣言が発令されたときもいつも通りレッスンをしようとしていたので、とんでもないと大反対してしばらく休講するように言いました。
その後夏には少々感染者数が収まったので、マスク着用、換気を徹底することを条件に渋々レッスン再開を許しました。
そして現在の第三波。大阪が不要不急の外出は控えるよう要請されている現在、再び詩吟教室は休止していますが、なんとか隙をみてレッスンしようとする父。そしてそれを監視する私。
少々厳しいようですが教える側も教わる側も高齢者。広い家で生徒さんとの距離を十分保てたり、寒い冬でも換気ができる環境ならいざ知らず、狭い自宅の6畳間でマスクをしているとはいえ向かい合って大声を出す詩吟など、何があるかわかりません。
今日も今週は開催すると宣言してきたのでまた言い争いになりました。
母には基礎疾患があること、不要不急ではない仕事ですら在宅勤務を余儀なくされていることなど理屈で攻めると父には反論しようがありません。
今日も勝利を収め、父はすごすごと引き下がりました。
しかしガッカリしている様子をみると、少々言い過ぎたかな、これってロジハラかな、などと心が痛くなりました。今もちょっとクヨクヨしています。
思えば姉が闘病中も私は相当ピリピリしていたようで、後から姪たちに「あの頃は怖かった」と言われました。
元々は「病気なんてなるときゃなる」みたいな考えの持ち主だったのですが、姉の病気以降は普通より神経質になってしまったかも知れません。
でももしものことがあって「あのとき、強く反対していたら」なんて思いたくない。もう二度と後悔したくないのです。