命あっての物種
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2020年8月23日
定期的に拝読しているいくつかの闘病ブログの中で、姉の病気とはちょっと違うのですが、同系列のかなり重い病気の方がいらっしゃいます。
この方、確か2018年の10月くらいに、お医者様に「治療しなければ余命1年」と宣告されておりました。しかし事情があって治療ができず、同年の大晦日に予約投稿で遺書のようなブログがアップされていたので、これはお亡くなりになったのかと残念な気持ちでいたのですが、実はご存命で、数か月後にブログが復活し今に至ります。
お医者様の余命宣告から無治療のまま間もなく2年を迎えられます。
現在のブログはまとめサイトのような形で毎日細々と話題の記事を転載していますが、稀にご自身の現状の体調のことを投稿されており、それを読む限りでは息も絶え絶えの状態で何とか日々を過ごしている、といった感じのようです。
一度投稿が途切れた2018年末の時点でも相当具合が悪そうでした。それから全く病院には行っていないのに、体調が悪いながらもブログ更新できる程度には体力と気力はあるということです。しかも独り暮らしをされているので、毎日の買い物や食事は自分で用意されているようです。
いや、決して病気を疑っているわけでは全くなく、無治療にも関わらずお医者様の余命宣告を倍近く更新されているということに対して、治療とは、医療とは何ぞやと思っているわけです。
抗癌剤のように、治療には癌細胞を攻撃する代わりに体力を大きく奪うものもあります。そのため治療をしたばかりに余命を縮めてしまう可能性もあります。
いわば賭けであり結果論でもあるのですが、やはり命を失ってしまっては元も子もないのです。
姉の治療も一か八かだったのですが、当時は「何もしないという選択はない」と迷うことなく化学療法を受けました。
これが正解だったのかずっと考え続けています。
もしこのブログ主さんのように無治療でいたら、姉もまだ細々と存命していて、もっと新しく有効な治療を受けられたかもしれない…と複雑な気持ちでいます。
あ、もちろんこのブログ主さんのことは応援しています。今後障害が解消されて、無事治療が受けられるよう祈っております。