パラレルワールドの分かれ目
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2019年10月4日
パラレルワールドについて悶々と考えていると、あ、あの時って多分パラレルワールドの分かれ目だったんだろうな、ということを思い出しました。
小学校高学年くらいだったか、クラブの合宿で海に行ったときのことです。
私はちょっと冒険してみようと思い、大きなビーチボールを借りて、ひとりで沖に泳ぎだしました。ちなみにその頃の私の泳力は25mがせいぜい。
浜辺の友人たちの顔が判別できないくらい沖に出たとき、不意に大きな波が起きました。私はうっかりビーチボールを離してしまい、ボールは波にさらわれ更に沖に。ここで私は大きな決断を迫られました。浜までは70~80m、ボールまでは7~8m。どっちに向かうべきか。
大人になった今なら、更に遠くに行く可能性がある沖のボールより、距離が読めている浜に向かって背泳でもなんでもして辿り着くことを選びますが、そこはさすが子供の私。迷った結果、ボールを取りに沖に向かいました。だってボールの方が近くにあるんだもん。
そこで奇跡が起きました。再度沖から来た波に乗って、ボールが手元に戻ってきたのです。
そして私は何食わぬ顔で浜に戻りました。
結果的には子供の私の判断が正しかったのでしょう。浜に向かうという判断をしたパラレルワールドの私は溺れて命を落としたのかも知れません。
パラレルワールドなんかない、沖に向かうことが決められた運命だったんじゃないの?と思われるかも知れません。
しかし例えば道を歩いていて、たまたま右に曲がったら車に轢かれてしまった、ということがあったとします。その「たまたま」が自分の意志だったかどうかがパラレルワールドの分かれ目か運命かの差なのだと思います。
その日、右の曲がり道の先に目的地があったから曲がった、は運命です。右でも左でも目的地には着くけど、自分で右を選んで行った、はパラレルワールドの分岐点です。
前者の場合は右の曲がり道の先の目的地に行こうと決めたとき、そこがパラレルワールドの分岐点です。
なんだか持論で熱くなってしまいましたが、お陰で今の私の「過去に戻る作戦」の欠点がわかりました。
姉が亡くなることは運命だったのかも知れませんが、その運命になるまでのどこかにパラレルワールドの分岐点があったはずです。
私は闇雲に過去に戻ろうとしていましたが、この分岐点を見定めて、そこを目掛けて戻るべきだったのです。
今日の瞑想時間のテーマはこの「分岐点」探しですね。