望みが断たれたとき
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2022年11月4日
※この記事は2023年6月に書いています
元お笑い芸人の上岡龍太郎さんが逝去されました。
関西では絶大な知名度と人気を誇り、絶頂期にスッパリ芸能界を引退したことで半ば伝説的な存在にもなっていました。
私もそのぶれない姿勢やクレバーな語り口調のファンで、現役のときのテレビ番組は欠かさず観ておりました。
ご冥福をお祈り致します。
上岡さんは肺がんと間質性肺炎を患っていたとのことです。
肺がんは有名な疾病ですが、間質性肺炎という病名を初めて耳にした方も多いのではないでしょうか。
私も姉の闘病中に初めて聞いて、そして癌患者にとってはとても恐ろしい病気だということを知りました。
間質性肺炎自体の詳細は私も詳しく調べてはいません。なので、ここではなぜ癌患者にとって恐ろしいかだけ記します。
間質性肺炎を患っている方は、もし癌になっても標準治療である抗癌剤治療が受けられないのです。
抗癌剤治療をすることによって間質性肺炎が悪化するからだそうです。
つまり癌治療に対して打つ手がなくなる、ということです。
その事は姉の癌がわかってすぐ、肺炎の検査をした際に主治医から聞きました。
幸い姉は肺炎にはなっていなかったので、抗癌剤治療を受けることができました。
姉が間質性肺炎でなかったことでその恐ろしさを忘れていたある日、病院の診察室の前で姉と診察を待っていると、俄に診察室が騒がしくなりました。
慌てて病院の職員が数名駆けつけ、診察室のドアを開けると、見るともなしに中で診察中の男性が暴れているのが見えました。
男性はお医者さんに掴みかかり、「間質性肺炎だから癌の治療ができないとはどういうことだ」といった意味のことを叫んでいました。
「死ねということか!」「何とかしろ!」とひとしきり暴れていましたが、最終的に職員さん数名に連れられて診察室を後にしていました。
大きな病院なので、待合所には多くの人がいました。
居合わせた人たちは人騒がせな…といった雰囲気を出していましたが、事情を知れば件の男性の気持ちがわかる人も多いでしょう。
例えば当時の姉にとって抗癌剤治療ができるということは心の支えであり、亡くなる直前まで「体力さえ戻れば抗癌剤治療を継続できる」という主治医の言葉を励みにしていました。
その希望がいきなり打ち砕かれるのです。
上岡龍太郎さんも積極的治療は行わなかったそうですが、正確に言うと「できなかった」が正しいと思います。
この度の訃報に触れ、あの診察室での出来事をふと思いだし、上岡龍太郎さんはどんな思いでいらっしゃったのだろうと勝手に想像しています。
もちろん暴れてはいなかったと思いますが、あの軽妙な語り口で、医者に皮肉や嫌みのひとつでも言っていたのかもなと思ったりしています。
※間質性肺炎に関する記述は当時の記憶によるものです。現在は医療も進化してよりよい治療が行われているかもしれませんので、現状にそぐわない表現になっているかもしれません。悪しからずご了承ください。