実感がない日々
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2022年7月1日
またまた「勘の鋭いTさん」の話で恐縮です。
Tさんは先日最愛のお母様を亡くされて、悲観に暮れているかと思いきや意外とケロっとしています。
そう見せているのかと思ったら、本人も「意外と普段通り」と言っていました。
Tさんは、いよいよお母様が危ないというときに「母が亡くなったらしばらく会社を休む。もしかしたら会社を辞めるかも」とまで言っていたのですが、忌引き休暇が終わるなり普通に出社していました。
どうも周りの身近な人を亡くした人たちから「しばらく落ち込んで立ち直れなかった」という話を聞いて戦々恐々としていたようです。
「悲しいけれど日常生活に支障を来すほど落ち込んでいない」と言っていました。
私も姉が亡くなる前には「姉が死んだら生きていけない」などと姉の主治医や心療内科の先生に泣きながら訴え、特に心療内科の先生には非常に心配されて姉の死後にはウチに通うように、とまで言われていましたが、いざ亡くなってみると悲嘆に暮れることなく普通に生活しています。
実際のところ、例えばまだ小さいお子さんが親を亡くした場合や突然配偶者を亡くした場合などは、普段の生活が変わったり、自身の今後にも不安を感じたりして、その死を現実として目の当たりにするのでしょうが、私やTさんのように故人とは普段の生活が切り離されている場合は、実感として沸きにくいのだろうなと思ったりします。
つまり平気なのではなくて、まだ受け入れられていないだけだと思います。
私などは受け入れてないどころか(過去に戻って)近いうちにまた会えると思ってますから。
Tさんなどはいずれじわじわと実感する日が来るかもしれません。
そうなったときの精神状態は少し心配です。
私は過去に戻るか死ぬかするまで姉の死を認める気はないので大丈夫です。