親ガチャの当たり外れ 後編
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2022年5月2日
今の子供たちが「親ガチャ」を意識するであろう主に大学進学の時期、父の勤める会社が倒産したとあって我が家の家計は相当逼迫していたと思うのですが、私も姉も金銭的な問題は何も気にせず、年子の二人が連なって私立大学に進学しました。
母は専業主婦です。
今思うとどうやって遣り繰りしていたのか分かりません。
社会人になってから「あんたらが大学卒業する頃には貯金はほぼすっからかんだった」とあっけらかんと母は言っていました。
思い返せば父も母も自分のために贅沢品を買うこともなく、趣味にお金を遣っているのも見たことはありませんでした。
豪邸にも住んでいないし、エスカレーター式の学校にも通っていないし、ブランド物も持っていなかったけれど、私の「親ガチャ」は当たりだったと思っています。
大学進学のお金に不自由しなかったから「当たり」というわけではなく、私たち子供のために全てを捧げてくれた親の元に産まれたことが「当たり」でした。
「当たり」「ハズレ」は金銭的なものではないと思っています。
姉は子供が産まれてから常に家計の遣り繰りに追われていました。
不本意ながら、子供が大学に進学するなら奨学金を借りるしかないと言っていました。
今、子供たちは私の養子となり、金銭的には恐らく姉夫婦の子供であったときより余裕があると思います。
子供たちは「ハズレの親ガチャ」から「当たりの親ガチャ」になったと思っているでしょうか。
身を粉にして(本当に命をかけて)働いて、子供たちに尽くしていた姉のことを「ハズレ」だったとは決して思ってはいないと信じています。