親ガチャの当たり外れ 前編
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2022年4月29日
最近「親ガチャ」という言葉をよく聞きます。
「親ガチャ」とは、「親は自分では選べない」ことをカプセル玩具に準えて表現した言葉です。
よく「毒親(暴力や過干渉等で子供に悪影響を与える親)」とセットで使われていることがありますが、毒親だけが「ハズレの親ガチャ」とは言えないようです。
若い人の間で「親ガチャにハズレた」と割と軽く使われている場合は大体「家庭がさほど裕福ではない」という感じかなと思います。
いや、「親ガチャ」という言葉の認知度が上がるにつれ「ハズレ」の定義がもっと広範囲になっているかもしれません。
今や親の年収数千万、タワマンや豪邸住まいで、有名私立の幼稚園から大学までエスカレーターで進学できなければ「ハズレ」と言っている気がします。
親の経済力次第で人生が左右されるのは事実で、不公平といえば不公平なのですが、上を見るとキリがありません。
「当たり親ガチャ」があることで「たまたま当たっただけなのにズルい」と思うのでしょうが、じゃあみんな横並びならいいのかというと、こういう人は「自分だけが当たり」じゃないと気が済まないのでしょうから、親ガチャ自体を無くそうという思想にはならないと思います。
まあかの共産主義ですら親ガチャがあるでしょうし、無くす必要もないとは思っています。
ただその概念に「親ガチャ」という名前が付いてしまったことで、人生は不公平だと皆が気づいてしまいました。
そのせいで「努力を放棄して全て運のせいにする子供」や「子供にハズレと言われた悲しい親」が増えてしまったかもしれません。
で、私個人は親ガチャに「当たった」のか「ハズレた」のか、どう考えているかは後編に続きます。(誰が興味あるねん)