千羽鶴の効能
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2022年1月31日
現在ウクライナに向けて千羽鶴を折ったり何かの絵を描いて応援しようという呼び掛けがあったりしますが、こういう運動が紹介される度に人でなしの私は「何か意味があるのか」と考えてしまいます。
千羽鶴に関しては災害などが起きると、被災地側の「置き場や処分に困るので送らないで欲しい」という呼びかけがあったり、それに対して送る側の「人の気持ちを踏みにじるな」という意見があったりと毎度問題になっています。
いや、平和や相手を思う気持ちのやり場として折鶴を折ったり絵を描いたりするのは理解できます。
ただそれを送りつけて、相手が受け取らないと「失礼だ」と憤慨するだけの根拠や効果があるのかが知りたいのです。
調べてみました。
千羽鶴が今のような形になったのは戦後だそうで、意外と浅い歴史でした。
広島の原爆被爆者の少女が病気治癒のために千羽の鶴を折って祈ったエピソードが元となり、平和を祈る象徴として千羽の鶴を平和記念公園に捧げるようになったそうです。
今やそれが転じて被災地やお見舞いに送られるようになったということです。
ということで現在の千羽鶴は、何らかの宗教的・思想的な教えが元になったものではないようです。もちろん科学的根拠も効能もありません。
千羽鶴を送るという行為には自己満足以外の理由はないように思います。
ではスピリチュアル的には千羽鶴をどう考えているのか。
調べてみると、そもそも祈りというものは、お百度参りに代表されるように人知れず行うものであり、誰かに見られたり口外した場合はその願いは聞き入れられないとされているそうで、千羽鶴を「送る」ことは祈りの原則に反することだということです。
つまりスピリチュアル的には「相手に渡したり、公に披露すると祈りの効能がなくなる」ということです。
おお。初めてスピリチュアル側に大いに賛同しました。
もちろんスピリチュアル側の言い分にも科学的根拠は一切ありませんが、やり場のない思いを人に押し付けないための教えとなっているような気がします。
補足ですが、スピリチュアル的に千羽鶴自体を否定しているわけではありません。
やるなら人知れず折って自分の見えるところでひっそりと祈りを捧げ、願いが叶えば神様にお礼参りするなりして自分で処分すべき、ということです。
ちなみに現在の千羽鶴の元になった被爆者の少女は、祈り虚しく奇跡は起きなかったそうですが、「病人が折鶴を折る」という行為は「目的をもって指先を使う」ことで一定の治療効果が科学的に証明されているようです。
病人に送るなら千羽鶴ではなく折り紙を送ったほうがいいのではないでしょうか。