そうじゃない
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2020年6月14日
先日の記事で参考にさせていただいた葬儀社YouTuberさんの動画を見終わったあと、次のオススメとしてとても気になる動画がリストアップされていました。
同じYouTuberさんの動画で、フォロワーさんからのお便りに答えるという内容です。
お便りはとても長かったのでざっくり概要だけお伝えしますと、お便りの主は数ヵ月前に高校生の息子さんを亡くされた男性で、これまで宗教等に救いを求めたが自責の念は癒されず、突き詰めるとこの苦しみを解消するのはタイムリープして過去を変えるしかないと考えていらっしゃるそうです。
そして配信主さんへの質問は、「タイムリープしても無駄だと思うか?」でした。
その回の動画は、いつもの配信主さん(葬儀社社長)だけではなく、お知り合いだという住職さんも出演されていました。
お便りの主さんへのおふたりの返答は、まあありきたりで
・過去に戻ったとして結果はもっとひどいことになるかも知れない
・現実を見つめて、今の人生をより良いものにすべき
・ひとりで考え込まずに誰か(この場合宗教家)に救いを求めるべき
・(タイムリープなど)ありもしないことにすがりつくべきではない
といった感じです。
いや、この相談者の方、そんなことさんざん言われてきた結果、納得しなかったから相談してきたのだと思うのですが。
例えるなら、登校拒否の子供によってたかって「学校に行かないとろくな大人にならない。先生に相談しろ」なんて言って無理矢理登校させるようなものです。その考え、古い。
私はこの相談者の方の気持ちが痛いほどよくわかるので、この場合は「気の済むまでタイムリープに挑戦しろ」と言うべきではないかと思います。
この相談者の方は研究職らしく、意欲的にタイムリープについて調べているそうです。
調べた結果、仮にタイムリープは不可能だったと結論づけたとして、それは無駄になるのかというと決して無駄ではないと思うのです。
そして仮にタイムリープが成功して、結果的に今より悲惨な未来が待っていたとしても、自分が望んだことなので悔いは残らないはずです。
すがる先が宗教かタイムリープか、なだけの違いです。宗教はどちらかと言うと「諦めることを納得する」で、タイムリープは「諦めない方法を模索する」です。
それなら私はタイムリープを心の拠り所とした方が自分にとってはむしろ建設的かな、と思っています。
お陰で心の均衡が保たれて(ある意味)楽しくやってます。
この相談動画、全3回に分けて配信されていましたが、2回で見るのをやめました。
実は3回目にいいこと言ってたりして。また時間があれば見ておこう。
あ、この葬儀社YouTuberの方の動画、他のものはとても参考にさせていただいています。