無償の悲しみ
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このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
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2019年10月19日
4年ほど前、私が会社で大変お世話になった方が、今年亡くなった姉と同じような病気で亡くなりました。
もちろん悲しいのですが、その方は私が担当していた業務でかなりの後ろ楯になってくれていたので、正直これからどうしようと自分の身を案じる気持ちの方が強かったのです。
そのとき自分は冷たい人間だなあ、純粋に悲しいという感情がないのかなあ、と思っていました。
姉が亡くなったときも悲しかったのですが、よく考えると、私の愚痴を聞いてくれる人がいなくなるな、とか一緒に買い物や旅行に行けなくなってつまらないな、とかそういった感情も少なからずありました。姉がいなくなることで私のこれからの人生のデメリットを考えていたのです。
姉の闘病中に姉の主治医に「あなたがお姉さんを無くすのが嫌なだけでしょう?」と諭されていましたが、それは不純ということなの?
「自分が悲しみたくない」ことが純粋ではないなら、純粋な悲しみってなんだろう。
「無償の愛」だって、「愛した人が幸せになることが自分の幸せ」だったら無償じゃないよね。