不幸中の幸いって
************
このブログは、無念のまま亡くなった姉の病気を未然に防ぐため、過去に戻ることを決意し、いろいろ試して過去に戻るまでの記録です。
************
2019年7月19日
悲惨な事件があると被害者の遺族の方と気持ちが重なりとても辛くなります。私は犯罪被害者遺族ではないので一緒にするなとお叱りを受けるかも知れませんが。
この度のアニメーションスタジオでの火災で亡くなられた方、そのご家族にひっそりとお悔やみ申し上げます。
以下不謹慎かも知れませんが今回の出来事で違和感を覚えたことを書きます。独り言だと思って読み流していただけたら幸いです。批判に弱いので異論は認めません!
今回、被害に遭われた会社はアニメーションスタジオという事でその世界では著名な方も複数いらっしゃったかと思います。
その数名の著名な方の安否がTwitterなどで拡散され、無事が確認されると「不幸中の幸いだった」というコメントが数多く流れていました。
ここに違和感を覚えたのは私だけでしょうか。
何に対する幸い?「不幸(大勢の無名のスタッフの命が失われたこと)」中の「幸い(アニメーション界の財産を失わなかったこと)」という意味?
敢えて「無名の方」という言い方をしますが、無名の方の命と比較することではないように思います。
私が仮に「無名の方」の家族だったら、今後アニメーション界がぶっ潰れようが発展しようが知ったことではない、それを家族の命と比較されて「幸い」と言われたらブチギレて「何が幸いじゃボケ!」とコメントを荒らしまくると思います。
そういう意味ではない、私が穿った見方をしすぎていたとして、では著名無名は関係なく「不幸(大勢のスタッフの命が失われたこと)」中の「幸い(1名でも多く生き残っていたこと)」という意味だったらどうでしょう。
それでもダメだー!!
建物や数々のデータやセル画は燃えてなくなったけれど、死亡者はいなかったよね、これが「不幸中の幸い」の使い方だと思います。
一人であろうが大勢であろうが、命を失ったことの中に「幸い」はありません。
しかし少なくとも私が見たコメントの中にはこの「不幸中の幸い」に批判的な意見はありませんでした。私のほうがおかしいのかな。
そうであれば悲しい世の中だと思います。